「シャツは袖から1cm出す」が正解?

【鎌倉のスーツブログ】

スーツの袖口を「重心」から考える

スーツの着こなしについて調べていると、かなりの確率で出てくる話があります。

「ジャケットの袖から、シャツを1〜1.5cm出すのが正解。」

私も、以前は、そういうものだと思っていました。

実際、現在のスーツの着こなしとしては、間違っているとは思いません。

ジャケットの袖口から白いシャツが1cmほど見える。
確かに綺麗です。

でも、私はずっと少しだけ引っ掛かっていました。

本当に、1〜1.5cm出すのが「正解」なのかな?ということです。

昔のスーツを見ると、どうも話が合わない

私は昔のスーツを見るのが好きです。

1930年代、40年代、50年代。

映画やドラマだけでなく、当時の写真や資料などもよく見ます。
そうすると、不思議なことに気付きます。

シャツのカフが、ほとんど見えていない人が結構いる。

腕を自然に下ろして立っていると、ジャケットの袖口からシャツがほとんど出ていない。
ところが、腕を曲げたり、何かを持ったりすると、少しだけ白いカフが覗く。

逆に、もっと古い資料まで遡ると、今度は驚くほど盛大にシャツを見せている人もいます。

つまり、歴史的なスーツを見ていると、

「シャツは必ず1〜1.5cm出す」

という一つの答えには、どうしても収まらないんです。

もちろん、昔の人が全員正しいという話でもありません。
時代によってスーツの形も違えば、シャツも違う。着こなしの美意識も違います。

ただ、それならなおさら、

なぜ今は1〜1.5cmが正解と言われるんだろう?

私はそこが気になりました。

トミー・シェルビーの袖口

私が好きなドラマの一つに『ピーキー・ブラインダーズ』があります。
その主人公、トミー・シェルビーのスーツ姿を見ていても、この疑問を感じます。

彼のスーツ姿は、腕を自然に下ろしていると、シャツのカフがほとんど見えない場面が結構あります。

でも、腕を曲げたときには少し見える。
これがねぇ、私は格好良いと思うんです。色気さえも感じる。

もちろん『ピーキー・ブラインダーズ』は、1910〜30年代そのものを撮影した記録映像ではありません。

現代に作られたドラマです。
だから、「当時はこうだった」という歴史的根拠にはできません。

でも、衣装として見たときに面白い。

トミー・シェルビーのスーツには、「軽快さ」よりも「重さ」があります。

スリーピース。
比較的高い位置まで覆うベスト。
しっかりした生地。
ロングコート。
キャスケット。

そして、全体に漂う低い重心。

その中で、手首だけ白いシャツを1〜1.5cm、常にくっきり見せたらどうなるだろう。
おそらく少し印象が変わります。

そこで私は、

カフの見せ方も、スーツ全体の「重心」の一部なんじゃないか?

と考えるようになりました。

白が1cm入るだけで、スーツは軽く見える

ジャケットの袖口から白いシャツを見せる。
たった1cmです。
でも、この1cmは意外と目立ちます。

濃紺やチャコールグレーのジャケットが腕から手首まで続いているところへ、白い横線が一本入る。

そこで濃色の面が一度切れます。

視線が抜ける。
結果として、手元が軽く、軽快に見える。

だから私は、

少し軽く、軽快な印象にしたいスーツなら、1〜1.5cm出す。

これは非常に理にかなっていると思っています。
現代的なスーツや、少しシャープに見せたいスーツなら、私も普通に使います。

問題は、

それをすべてのスーツに当てはめる必要があるのか?

ということです。

重心を低く構えるなら、出さないという選択もある

逆に、重心を低く構えたいスーツがあります。

どっしりしている。
落ち着いている。
軽快というより、静かに構えている。

そういうスーツなら私は、

腕を自然に下ろしたとき、カフをほとんど見せない。
という設計も格好良いと思っています。

そして動いたときだけ、少し見える。
腕を曲げたとき。
グラスを持ったとき。
誰かと握手するとき。
ポケットへ手を入れたとき。

その瞬間だけ白いカフが覗く。
ずっと白い線が見えているのとは、また違った【色気】があります。

私は、こういうのが好きです。
これは「1cm出すのが間違い」という話ではありません。

むしろ逆です。

1cm出すことにも理由があるし、
出さないことにも理由がある。

その理由を、作ろうとしているスーツ全体から考えたいんです。

ただし、ジャケットの袖を長くする話ではありません

ここは誤解してほしくないところです。

シャツを見せないために、ジャケットの袖を長くするわけではありません。

ジャケットの袖が手の甲までかかっている。

これは私は格好良いとは思いません。

ジャケットの袖丈そのものは、手首との関係を見てきちんと決める。
シャツの袖丈も、シャツとしてきちんと決める。

そのうえで両者の関係を考えて、最終的にどれくらいカフを見せるのかを設計する。

ここは全く別の話です。

「カフを出さない=ジャケットの袖が長い」ではありません。

数字からスーツを作るのではなく、理由から数字を決める

私はスーツを作るとき、数字をかなり使います。

着丈。
肩幅。
ラペル幅。
ゴージ位置。
ボタン位置。
股上。
渡り幅。
膝幅。
裾幅。

そして袖丈。

でも、数字そのものが正解だとは思っていません。

例えば、

「ラペルは○cmがクラシック」
「シャツは袖から1cm出す」
「パンツの裾幅は○cm」

こういう基準は、スーツを考えるうえでとても便利です。

基準がなければ設計できません。

でも私は、そこで終わりたくない。

なぜ、その数字なのか?

です。

1cm出したら、どう見えるのか。
出さなかったら、どう見えるのか。

その人の身体に対してどうなのか。
今回作るスーツの重心に対してどうなのか。

そして、その人をどう見せたいのか。

そこまで考えてから、最後に数字を決めたい。
だから同じ私が作るスーツでも、すべて同じ袖口になる必要はないと思っています。

「軽快」に作るなら、カフを見せる。
「重心を低く構える」なら、あえて抑える。

どちらも「正解」になり得ます。

違うのは、そこに理由があるかどうか。

たかが1cm。でも、その1cmを「なんとなく」にしたくない

スーツ全体から見れば、袖口の1cmなんて本当に小さな話です。

知らなくてもスーツは着られます。

1cm出ていようが、出ていまいが、それだけで良いスーツ、悪いスーツが決まるわけでもありません。

でも私は、こういう小さなところが気になります。

「1cm出すのが正解です。」

そう言われたときに、「分かりました。」
で終わるのではなく、

なぜ1cmなんだろう?と一度考えてみる。

昔のスーツを見る。
今のスーツを見る。
実際に人が着ている姿を見る。

「軽く」見えるのか。
「重く」見えるのか。

全体の重心はどう変わるのか。

そうやって考えていくと、たった1cmにも、ちゃんと意味が出てきます。
私は、スーツをそうやって作りたい。

決まりだから1cm。
クラシックだからこの形。
流行っているからこのバランス。

ではなく、

なぜ、そうするのか。

その理由を一つずつ積み上げて、最後に一着のスーツにする。

たかが1cm。

でも、こういうところに、
スーツの「なんとなく」が隠れている気がします。

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